制度外の居場所
「制度外の居場所」・・・専門性はない、中途半端、もちろんお金はない・・・
なぜ、やっているのか、何をやっているのか・・・
「ひとのま」の宮田君がよく言っていますが、
「ぼくは場を開けているだけなんです」まさにこれから出発していると思います。
私も「すまいを開いているだけ」
宮田君よりは強欲なので、カフェやこどものプログラムや学習をやったらちょっと収入になるかなでスタート。
私の「誤算」は、こういう場を求めてくれる人がけっこういるんだということ。
平日のカフェがいっぱいになるたびに、
「不思議なことが起きているなあ」と感動せずにはいられません。
そして、人が集まってくると、いろんな課題が見えてくる・・・
「これはちょっとしんどそう、この人に繋げよう、この窓口に相談しよう」と
ネットワークをフル活用していく事態になってきます。
そして、さらに、どこにも繋げられない事態も見えてくる・・・
結果として、「名もない居場所」がハブ化され、ワンストップの機能さえついてくる。
そんな「開けてるだけ」のいろんな機能がくっついてきて、
「危機に陥っていく居場所」に「大丈夫???」と声をかけたくなる事態になっていく。
まわりの人の中では、「そんな体制だからだ、ちゃんとお金をもらえるようにしなくちゃダメだよ」とか、
「だからそんなやりかた危ういっていってたでしょ」とか言う人もいますよね。
学生時代、知らないうちに「青い芝の会」の介助者になっていて、車椅子の外出補助をしていました。
駅の階段の下で、「いっしょに車椅子をあげてくださーい」と大きな声を出していると、
何人かが手伝ってくれて、やっと電車に乗り込む。
すると、「小さな親切運動」というバッジをつけた紳士が、
「あなたたちね、事前に駅に連絡しなかったでしょう。駅員さんに頼むべきですよ」と言いました。
「おじさん、見ていて何もしないで、そういうこと言うんだ」と悔しかったけど、
まだ20歳の私は言い返せなかった。その風景を今でも思い出します。
私たちの「中途半端な活動」は、きっと制度化されません。
いつもいつも危うい感じ。
でも、だからこそ、そこから見えるものもある。
来てくれる人もいる。
それぞれの居場所が、それぞれの特色を生かして、お互いに助け合えればいいかなと思います。
一方、この「危うい居場所」の中では、
「強欲」に見える、私たち「ponteとやま」(年取っているからね)。
これを生かして、私たちの役割を果たしていきたいなあと思いました。
「危うい居場所」は全部の制度化はできないけど、制度のいいとこ取りが可能ならそれを探していく。
誰も思いつかないような「人と居場所のお助け方法」をさぐる。
「危うい居場所」仲間といっしょにやっていきたいと思います。
まずは、ひとのまの賛助会員、まだの皆さん、ぜひお願いします。(つづく)