友野さんが書いてくれたこと、心にずしんと響きました。
みなさんにPonteがどんなことをしているか、伝えきれていないのに、どうして友野さんにわかるんだろう…それだけですでに奇跡が起きている。
私は、20年間フリースクールで言葉を介して子どもたちと対話して過ごしましたが、信頼度100%だった「言葉」の信頼度が私の中で徐々に低下していって言葉を発することもあまりしたくなくなったけど、「言葉」を持たない自然やもの、そして人との交信もできるはずはないと思って、行きついたのが「ご飯」。
「ご飯食べよう」私の持てる言葉はそこに集約された10年間。ここに集まってきた子どもたち、若者たち、大人たちも、ただ通り過ぎていく人もいれば、住みついてくれている人もいる。その住みついてくれた人たちと過ごした10年。
私たちが誰かを支援しているのではなく、ともにここに住みついている人たちといっしょに作ってきた世界。みんな、住みつき方も住みつくところも交信方法もバラバラだけど、なんとなくいっしょに生きている。
生き生きと誰かに伝えたいとおしゃべりする人もいれば、ほとんどしゃべらなくて黙々と働いている人もいる。友野さんみたいにカラスとしゃべる人もいますよ。ひたすらケーキを作っている人、ひたすらゲームをやっている人もいる。カフェに来てひたすらしゃべっている人もいる。なぜか、こどもたちはひたすら庭に穴を掘り、水を流し、板の橋を渡したりしている。
「言葉」で表せない世界を「言葉」で表現している友野さんはすごい!私ももう一度、「言葉」と対峙してみようかと思ってきていた今日この頃、友野さんと会えた。
そんな私も、毎年生えてくるシソやみょうが、ツルムラサキには毎日挨拶してるな。今年は梅干しとの会話も多かった。友野さん、ありがとうございます。何かを見つけた気がします。もともとちゃんと存在していた何かを。